夫が水滴描いてて、ちょっとヘタだったから
描きかた教えてあげたら上手になってた。
水滴は私も昔、頑張って描いたなあ
難しくて写真資料だけじゃ足りなくて
水を張ったグラスと葉っぱを用意して水の粒を作って観察したり。
そうするとどうやらあの小さな一粒の中に周囲の景色が全部映ってるんだよね。
手で描いたらどれだけ時間かかるか分からない情報量が入ってるの。雨とか降ると、雨粒の一つ一つにセカイが描画されて
それらが一瞬で消えてくことに気が狂うかと思った。
というか狂ってた。
そのころ椎名町の何かが良くないアパートに住んでて、あまりにも良くないから事故物件を疑ったし池袋から巣鴨プリズンの怨念がきてんじゃねーか?と思いつつ雨が降るたびに狂ってた。
でもそこでエントランスに迷い込んだサザナミスズメをはじめて拾ったことは嬉しかった
水の粒なんてちいさいものを凝視してたからか
地味なサザナミスズメの翅の美しさがよく見えた
そうこうしながら水滴と向き合い、いまでも別に上手くはないけど自分なりにいい塩梅に描けるようにはなったから
夫に「こうした方が『らしく』なるよ」とかアドヴァイスしちゃったが、せっかく自力で試行錯誤してたのに余計な口出ししたかもな。
いまは絵の作り方や効率的なTipsがあふれてて、頼まなくたって流れてくるけど
あえてショートカットしないのもおもしろいと思う
という話 (なの?)閉じる
描きかた教えてあげたら上手になってた。
水滴は私も昔、頑張って描いたなあ
難しくて写真資料だけじゃ足りなくて
水を張ったグラスと葉っぱを用意して水の粒を作って観察したり。
そうするとどうやらあの小さな一粒の中に周囲の景色が全部映ってるんだよね。
手で描いたらどれだけ時間かかるか分からない情報量が入ってるの。雨とか降ると、雨粒の一つ一つにセカイが描画されて
それらが一瞬で消えてくことに気が狂うかと思った。
というか狂ってた。
そのころ椎名町の何かが良くないアパートに住んでて、あまりにも良くないから事故物件を疑ったし池袋から巣鴨プリズンの怨念がきてんじゃねーか?と思いつつ雨が降るたびに狂ってた。
でもそこでエントランスに迷い込んだサザナミスズメをはじめて拾ったことは嬉しかった
水の粒なんてちいさいものを凝視してたからか
地味なサザナミスズメの翅の美しさがよく見えた
そうこうしながら水滴と向き合い、いまでも別に上手くはないけど自分なりにいい塩梅に描けるようにはなったから
夫に「こうした方が『らしく』なるよ」とかアドヴァイスしちゃったが、せっかく自力で試行錯誤してたのに余計な口出ししたかもな。
いまは絵の作り方や効率的なTipsがあふれてて、頼まなくたって流れてくるけど
あえてショートカットしないのもおもしろいと思う
という話 (なの?)閉じる
手が痛てー
絵を描くこと自体はヴィラン式リハビリテーションにより馴化されてきたものの、完成した絵を公開するか?となるとそういう気持ちにはなれない今日このごろ
でもそのことについてあまり考えるとまた「そもそも描かない」選択を取る。
自分のためには絵を描くことが一番いいけど、世のためには描かないことが一番いいから。
『生きてる間は作品非公開。死後に公開します。私が死ぬの待ってて!』
って形にしたばあい、
「はやく死んで」って想ってもらえたら幸せなのかな?
「作品なんて見れなくていいから生きてほしい」と願われる方がうれしい?
創るひとにはどっちが多いだろう。
自分がファン側なら、好きな作家がそんなクソの提示してきたら困っちゃうかも。閉じる
絵を描くこと自体はヴィラン式リハビリテーションにより馴化されてきたものの、完成した絵を公開するか?となるとそういう気持ちにはなれない今日このごろ
でもそのことについてあまり考えるとまた「そもそも描かない」選択を取る。
自分のためには絵を描くことが一番いいけど、世のためには描かないことが一番いいから。
『生きてる間は作品非公開。死後に公開します。私が死ぬの待ってて!』
って形にしたばあい、
「はやく死んで」って想ってもらえたら幸せなのかな?
「作品なんて見れなくていいから生きてほしい」と願われる方がうれしい?
創るひとにはどっちが多いだろう。
自分がファン側なら、好きな作家がそんなクソの提示してきたら困っちゃうかも。閉じる
毒親になるぞ!
と思って親になる人間はいないわけで
毒親(と呼ばれる類いのひと)は自分が毒親だという自覚は持てないだろうし、それどころか "『良い親』"って自認じゃないかなー
「完璧とは言わないがかなりイイ部類の親」くらいの自己評価じゃねえかな?
わからんけど
狂人とひとくちに言っても生まれつき何かが欠落した者ばかりでなく
元はごくふつうの人間がじょじょにおかしくなった結果"そこ"に至ることはままあるだろう
人間が壊れる時、ある日を境にいきなり発狂するわけじゃなくて、黄昏に陽が落ちていつの間にか暗くなっている空の色のように…
5年前の自分といまの自分の違いは自覚できても、昨日の自分と今日の自分に違いがあるかはわからないように
ゆっくりちょっとずつ知らず知らずに変容しているものだから。
ああ怖い。
夜はだれにでも訪れる。
闇のなかにいる獣と悪霊と邪鬼に心と身体を貪られないために、夜通し明かりを灯さなければ…
まあ、人生にはかわたれ時もあって
つまり良くなっていく時も同じではあるが。
夜もまたいつの間にか薄まって、気づけば陽に照らされた明るい世界がキラキラ広がっているから
暗くて怖かった夜のことは良くない夢でも見ていたように忘れてしまう。
ああ怖かった。
夜が明けてよかった。
でも、夜のうちに命運が定まってしまうことも
多いだろうなあ…?閉じる
と思って親になる人間はいないわけで
毒親(と呼ばれる類いのひと)は自分が毒親だという自覚は持てないだろうし、それどころか "『良い親』"って自認じゃないかなー
「完璧とは言わないがかなりイイ部類の親」くらいの自己評価じゃねえかな?
わからんけど
狂人とひとくちに言っても生まれつき何かが欠落した者ばかりでなく
元はごくふつうの人間がじょじょにおかしくなった結果"そこ"に至ることはままあるだろう
人間が壊れる時、ある日を境にいきなり発狂するわけじゃなくて、黄昏に陽が落ちていつの間にか暗くなっている空の色のように…
5年前の自分といまの自分の違いは自覚できても、昨日の自分と今日の自分に違いがあるかはわからないように
ゆっくりちょっとずつ知らず知らずに変容しているものだから。
ああ怖い。
夜はだれにでも訪れる。
闇のなかにいる獣と悪霊と邪鬼に心と身体を貪られないために、夜通し明かりを灯さなければ…
まあ、人生にはかわたれ時もあって
つまり良くなっていく時も同じではあるが。
夜もまたいつの間にか薄まって、気づけば陽に照らされた明るい世界がキラキラ広がっているから
暗くて怖かった夜のことは良くない夢でも見ていたように忘れてしまう。
ああ怖かった。
夜が明けてよかった。
でも、夜のうちに命運が定まってしまうことも
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ゴジラオタクは初めて観たゴジラ映画を親だと思う習性があり、親が違うゴジラオタク同士は烈しいセクショナリズムからイノチの奪いあいに至ることもあるため基本的に隔離したほうがよいと言われている #映画








