毒親になるぞ!
と思って親になる人間はいないわけで
毒親(と呼ばれる類いのひと)は自分が毒親だという自覚は持てないだろうし、それどころか "『良い親』"って自認じゃないかなー
「完璧とは言わないがかなりイイ部類の親」くらいの自己評価じゃねえかな?
わからんけど
狂人とひとくちに言っても生まれつき何かが欠落した者ばかりでなく
元はごくふつうの人間がじょじょにおかしくなった結果"そこ"に至ることはままあるだろう
人間が壊れる時、ある日を境にいきなり発狂するわけじゃなくて、黄昏に陽が落ちていつの間にか暗くなっている空の色のように…
5年前の自分といまの自分の違いは自覚できても、昨日の自分と今日の自分に違いがあるかはわからないように
ゆっくりちょっとずつ知らず知らずに変容しているものだから。
ああ怖い。
夜はだれにでも訪れる。
闇のなかにいる獣と悪霊と邪鬼に心と身体を貪られないために、夜通し明かりを灯さなければ…
まあ、人生にはかわたれ時もあって
つまり良くなっていく時も同じではあるが。
夜もまたいつの間にか薄まって、気づけば陽に照らされた明るい世界がキラキラ広がっているから
暗くて怖かった夜のことは良くない夢でも見ていたように忘れてしまう。
ああ怖かった。
夜が明けてよかった。
でも、夜のうちに命運が定まってしまうことも
多いだろうなあ…?閉じる
と思って親になる人間はいないわけで
毒親(と呼ばれる類いのひと)は自分が毒親だという自覚は持てないだろうし、それどころか "『良い親』"って自認じゃないかなー
「完璧とは言わないがかなりイイ部類の親」くらいの自己評価じゃねえかな?
わからんけど
狂人とひとくちに言っても生まれつき何かが欠落した者ばかりでなく
元はごくふつうの人間がじょじょにおかしくなった結果"そこ"に至ることはままあるだろう
人間が壊れる時、ある日を境にいきなり発狂するわけじゃなくて、黄昏に陽が落ちていつの間にか暗くなっている空の色のように…
5年前の自分といまの自分の違いは自覚できても、昨日の自分と今日の自分に違いがあるかはわからないように
ゆっくりちょっとずつ知らず知らずに変容しているものだから。
ああ怖い。
夜はだれにでも訪れる。
闇のなかにいる獣と悪霊と邪鬼に心と身体を貪られないために、夜通し明かりを灯さなければ…
まあ、人生にはかわたれ時もあって
つまり良くなっていく時も同じではあるが。
夜もまたいつの間にか薄まって、気づけば陽に照らされた明るい世界がキラキラ広がっているから
暗くて怖かった夜のことは良くない夢でも見ていたように忘れてしまう。
ああ怖かった。
夜が明けてよかった。
でも、夜のうちに命運が定まってしまうことも
多いだろうなあ…?閉じる
ゴジラオタクは初めて観たゴジラ映画を親だと思う習性があり、親が違うゴジラオタク同士は烈しいセクショナリズムからイノチの奪いあいに至ることもあるため基本的に隔離したほうがよいと言われている #映画
絵に描く虫。
シチュエーションがおうちの中だと衛生害虫になりがち
だって、例えば森林棲のチョウとかが脈絡なく飛んでたら「なんで?」ってなるから。
どういう流れでこの部屋にいるのこの虫?って…
衛生害虫、もしくは画面内人物が飼育してるのだろうと推測できそうな奇蟲とかかな、不自然でなく描けるのは。
シチュが屋外なら屋外で
ある虫を描く=その虫が活動してる季節や環境のバックグラウンドを併せて描かなきゃという強迫観念にかられるため、もっとむずかしい
べつに、、絵なんだから自由にやればいいのに。
中途半端にリアリティに即したところで歪でしかないのに。
でもそんなこだわりで雁字搦めに自縛することで得られるキモチよさ・満たされるヘキ(※)というのも
あるとかないとか…?
※悪癖の例
生き物さんって人間さんのお絵描きを装飾するためにステキな姿形してるわけじゃないんだよな〜たとえば蝶々さん🦋は生まれて食樹を喰み成長して寄生を逃れて蛹化して羽化して捕食を逃れてつがいを作って産卵して役目を終えてボロボロに擦れて死ぬという蝶さんなりの累代のドラマがあり彼らの形態というのは命そのものの美しさであって『こいつ翅の模様イイかんじだから画面に配置するか、ちなリアル昆虫はキモィので無理だが。』みたいに単なる装飾として虫さんおよび生き物さんを描くことは
私にはできない。。。
いやできないことはないけどそのばあい焼け火箸を握って灰をかきまぜる藤木の表情で鼻血流しながらタブペン握って「これでいいの?なんで?これでいいと思ってるの?どうして?」って自問自責する(血涙)。翻って、たとえ歪なリアリティであっても生命あるものとして自分なりに納得のいく虫さんの描画を試みそれを成せたなら、、その刹那、被虐の受太刀の間左の表情で鼻血流しながらタブペン握って絶頂(歓喜の涙) とかやってて脳が破壊されたから白痴なのかもな。
哀れなり。 それはそれとて
虫って小さいから描くのむずかしいよね
大きさをどう合わせるかいつも悩む。
絵なんだから自由にやればいいのに。閉じる
シチュエーションがおうちの中だと衛生害虫になりがち
だって、例えば森林棲のチョウとかが脈絡なく飛んでたら「なんで?」ってなるから。
どういう流れでこの部屋にいるのこの虫?って…
衛生害虫、もしくは画面内人物が飼育してるのだろうと推測できそうな奇蟲とかかな、不自然でなく描けるのは。
シチュが屋外なら屋外で
ある虫を描く=その虫が活動してる季節や環境のバックグラウンドを併せて描かなきゃという強迫観念にかられるため、もっとむずかしい
べつに、、絵なんだから自由にやればいいのに。
中途半端にリアリティに即したところで歪でしかないのに。
でもそんなこだわりで雁字搦めに自縛することで得られるキモチよさ・満たされるヘキ(※)というのも
あるとかないとか…?
※悪癖の例
生き物さんって人間さんのお絵描きを装飾するためにステキな姿形してるわけじゃないんだよな〜たとえば蝶々さん🦋は生まれて食樹を喰み成長して寄生を逃れて蛹化して羽化して捕食を逃れてつがいを作って産卵して役目を終えてボロボロに擦れて死ぬという蝶さんなりの累代のドラマがあり彼らの形態というのは命そのものの美しさであって『こいつ翅の模様イイかんじだから画面に配置するか、ちなリアル昆虫はキモィので無理だが。』みたいに単なる装飾として虫さんおよび生き物さんを描くことは
私にはできない。。。
いやできないことはないけどそのばあい焼け火箸を握って灰をかきまぜる藤木の表情で鼻血流しながらタブペン握って「これでいいの?なんで?これでいいと思ってるの?どうして?」って自問自責する(血涙)。翻って、たとえ歪なリアリティであっても生命あるものとして自分なりに納得のいく虫さんの描画を試みそれを成せたなら、、その刹那、被虐の受太刀の間左の表情で鼻血流しながらタブペン握って絶頂(歓喜の涙) とかやってて脳が破壊されたから白痴なのかもな。
哀れなり。 それはそれとて
虫って小さいから描くのむずかしいよね
大きさをどう合わせるかいつも悩む。
絵なんだから自由にやればいいのに。閉じる
リハビリがてら小品描いてるけど
背景付きの絵仕上げると小品じゃ満足できなくなるのはある
なんかいっぱい描いてる絵、どこをトリミングしても味わえる画面・・・
好だなー
背景付きの絵仕上げると小品じゃ満足できなくなるのはある
なんかいっぱい描いてる絵、どこをトリミングしても味わえる画面・・・
好だなー








